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映画『オリオンの季節』完成によせて(2)

 早いもので、映画公開からもう1週間が経ちました。
 前回綴りきれなかった部分を綴ろうと思います。今回で完結です。

シナリオの軌跡


 今作で主題となったのは、学生生活終盤における青年心理であったわけですが、その実、3人の持つ課題がそれぞれ異なったものであることも事実です。
 脚本第一稿では、大輔の物語がメインでした。哲也に登山に誘われるのは今作通りですが、幸子が同行しており、4人の物語でした。そして、物語の大一番は、山頂はもちろんでしたが、登山中、大輔が幸子に昔好きだったことを告げる、という場面でした。それで一区切りがついて、大輔の映画制作再開のファクターとなるわけです。
 しかし、そこに中途半端に哲也や誠の決意も混ざったものですから、大輔の物語なのか、メロドラマなのか、3人の青臭い物語なのか、どっちつかずになっていました。シナリオ構成を手伝ってくれた久保田くんに最初それを指摘され、どれかひとつに絞ろう、ということになりました。ぼくはまず、これまでの映画制作でずっと続けてきた、メロドラマを廃する決意をしました。ぼくは恋愛については描ききったと思っていましたから。
 大輔の物語にする場合は、むしろ1人で登って、出会う人物も1、2人に絞ったらどうか、という久保田氏の提案もありました。それもありだな、と思い、ぼくは大輔の物語にするのか、3人の物語にするのかを悩みました。そして、大輔の物語には課題が多いことに気がつきました。彼個人の葛藤や山頂におけるカタルシスを、台詞なしの映像でどう描くのか。また、映画制作者というキャラクター像がぼくの自叙伝として終わってしまわないか。それよりは3人の物語にすべきであろう、というのがぼくの思いでした。もちろん、キャスト志願をしてくれていた友人諸氏みんなと映画を撮りたいという気持ちもありました。それを決意した段階で、シナリオ構成MTとなりました。このから、助監督の川添くんが本気モードでぶつかってきてくれました。非常に多くのコメントを書いた第一稿を携えて、彼はコアワーキングプレイスにやってきました。そして久保田くんももちろんやってきました。ぼくより桁違いで映像作品を鑑賞しており、創作姿勢もある2人でしたから、むしろぼくが恐縮するくらいでした。
 脚本会議ではさまざまな議論が交わされ、少しだけ休憩時間は取ったものの、5時間ほぼぶっ通しでの作業になりました。そこでの議論のひとつが、3人の課題設定でした。大輔は過去の失恋による映画制作中断、哲也は卒業にあたって将来を憂う、ということは設定していましたが、誠が不完全でした。
 そのとき、2人から面白い指摘が出てきました。哲也は未来を、大輔は過去を抱えている、と。では、誠の課題設定を現在にしてみないか、と。3人それぞれ、時間軸の異なった課題を持つという構想です。面白いと思いました。そうして、今作の、風景画に固執して人間に対して開かれていない写真家の卵ができあがったわけです。
 誠の課題設定が決まると、3人のキャラが際立ち、各キャラクターが勝手に動き出してくれました。ぼくらは作中に入れたい出来事を、5分ごとのシーンのまとめで付箋に分けて、それを入れ替えたりなくしたりしながら、物語の順番を決めていきました。誠というキャラクターが怪我をする場面を山頂直前で入れたのは、その過程で、むしろ誠という人物の重さが際立ってきたからでした。
 今回の学びは、キャラ設定をしっかりすると、そこからシナリオがわいてくるということでした。その後は、カットの切り方を考えながら、シナリオを詰めていきました。
 そうして第二稿ができあがりました。そこから適宜修正を加え、3回目のMTが始まりました。台詞の言い回しやカットの切り方を決めました。そしてもうひとつ、キャスティングでした。キャストは足りていたのですが、誰をどこに配置するのかは、まったく考えていませんでした。そこで力を出してくれたのが、配役の山下史雅くんでした。忙しい彼はMTのほぼ序盤しか参加することができませんでしたが、彼は「誰の、どんな演技を見たいか」「雰囲気はどうなるか」を思案して、現在の配役を決定しました。ぼくは誠役の田所くんを主演にしようかと思っていたので(役者のキャリアを重視)、最初は驚きましたが、彼の配役は大成功。全員役にしっかりと入ることができ、いい3人を撮ることができました。田所くんはセリフを覚えるのが得意ではないですから、むしろぼくの案では山頂で凍え死ぬレベルで作品が長引いていたことでしょう笑。そうして、今作の構想が固まったわけです。

山下くんの死


 映画制作は順調に進みましたが、完成までのあいだに、ぼくらはとてもつらい出来事を経験することになりました。その配役の山下君が、交通事故で亡くなったのです。2年生のときに撮影した映画『セギヌスがいた』から、映画制作にずっと関わってくれた彼でしたから、制作陣のショックは計り知れないものでした。今作が、アフレコもサントラもまだできていない段階でした。完成した『オリオンの季節』を彼に見せることができなかったのは、残念でなりません。
 彼の映像は、作品には数秒しか出てきませんが、彼の果たした役割は大きなものでした。彼の葬儀を終えてから、ぼくらはアフレコと主題歌の収録を行いました。アフレコは大成功でした。ぼくは無神論者ですから、霊魂やあの世の存在を信じませんが、もしあるとしたら、彼が見守ってくれていたおかげなのかもしれません。山のシーン、登山客のシーン以外はすべてアフレコなのですよ。すごいですよね。
 彼の出演シーンは、ほんの一瞬です。幸子との会話回想シーンの末尾にある、最後の映像です。それ以前の3映像に比して、4つめの映像が少しだけ長いのは、彼に対する惜別の情にもよります。
 極寒の山頂撮影、特別出演の太刀川先生との酒食みなきロケ等、語ることは無限にあるのですが、今作で印象的なのは、上記のシナリオ会議と、山下くんの死に絞ることができるでしょう。

おわりに


 彼の死を通して、やはり、ぼくらはまた、課題を抱えたことになります。それをどう乗り越えるか。どう向き合うか。シナリオ構成や撮影の段階で、卒業間近のぼくらが感情移入していたのは、登場人物のなかでは、哲也でした。将来に対する不安や、友人たちと離ればなれになるさみしさ……そうしたものは、ぼくらの胸に実感として生きていたからです。これれからはどうでしょう。
 山下くんの遺影は卒業式で、学位記を手にはにかんだ写真でした。撮影班のなかには卒業した者も、卒業しない者もありますが、撮影班の多くは明日、卒業式を迎えます。ぼくらは、彼と同じように、明日学位記を手に笑い合うことでしょう。酒食みなきのご主人が、ぼくにこんな言葉をかけました。「八代さんだけの人生ではなくなってしまいましたね」……これから、彼の死を胸に生きるぼくら。彼のいない今を生きていくぼくら。ぼくらはこれからは、大輔や誠が向き合った、そして向き合っている、過去と現在という課題と、やはり立ち向かっていかなければならないわけです。
 社会人の大輔がラストシーンで眺めていたオリオン座がどんな風に輝いているのか。その戦いの末に、いつか、ぼくらも知ることになるのでしょう。

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