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異国の店と私

 疫病の混乱で国内がざわつく中、ぼくは別の報に肩を落としていた。留学時代に足しげく通ったドイツ・ケルン郊外のビアガーデンが、閉店したというのである。
 Planet Hürth……店の名前である。スーパーと学生寮があるくらいの小さな駅にその店はあった。ケルン中央駅からトラムで30分もかかるうえ、これといった名所もないところだから、その店を知るひとはほぼない。地元の人々に愛される店だった。

 留学したてのぼくは、ドイツ語も、地域のこともほぼ知らなかったものだから、しばらくは学生寮で勉強や研究をして過ごした。しかし入国して少し経ったころ、そろそろ勇気を出して、寮近くの店を探索してみようと思い立った。そのときに入った一軒目が、Planet Hürthであった。
 扉を開けるとカウンターには小太りの店主がたたずんでおり、客はまだいないようだった。のちに彼の名前はディエターさんというのだと知った。
 勉強しているとはいえ、やはりメニューはほぼ読めない。ぼくはさしあたりビールを頼んだ。食事もカリーブルストくらいしか知らなかったものだから、それを注文した。ビールも食事もとてもおいしかったが、それを伝えるすべがなかった。ディエターさんもぼくがドイツ語ができないことは察しているようで、とくに話しかけてくることもなかった。
 しばらくすると、そこに客が入ってきて、隣のカウンターに座った。その客は英語が話せたものだから、少し雑談したのち、ぼくは思い切って食事の感想の伝え方を教わることにした。客はさまざま例を出して教えてくれた。ディエターさんがほかの客に食事を提供して戻ってくると、ぼくは会計をして、最後、「おいしかった」と伝えた。ディエターさんはそのときはじめてぼくに笑いかけた。「ダンケシェーン!」と豪快な挨拶をして、ぼくが玄関を出るまで見送ってくれた。これがディエターさんとの出会いである。

 それから、ぼくはその店に足しげく通うことになった。とくにゼミナールがあった水曜日の夜や、学食に行けない土曜日などはほぼ毎週店を訪れた。ドイツ語の上達が遅かったものだから最初は挨拶だけだったが、だんだん小話くらいができるようになった。ドイツ語の日常会話はここで教わったといっても過言ではない。ディエターさんはぼくが店を訪れるたび、「Gut?(万事OKかい?)」と尋ねてきた。店にいるとぼくはいつも楽しかったものだから、必ず「Sehr Gut!!!(調子いいよ!)」と返していた。

 やがて夏になった。緯度の高いドイツではかなり日が長くなり、湿度が低く過ごしやすい気候が続く。暑く辛い日もあるが、町には幾多のビアガーデンが開くものだから、その楽しさのほうがはるかに上だった。
 Planet Hürthも例にもれず、ビアガーデンを開いた。外の木組みのスペースで、くだらない話をしたり、サッカーの試合で盛り上がったり、充実した時間を過ごした。ディエターさんのフルネームを知るのもこのころである。店のFacebookにいいねをして欲しい、と言われてつながったのがきっかけで、ぼくとディエターさんはどこにいても連絡が取れるようになった。
 ぼくはよくひとりで店を訪れていたものだから、友達や恋人がいないひとだと思われていたらしく、大学で知り合った女友達と初めて店を訪れたときには、ビールをごちそうしてくれたりした。「あの女っ気のないやつがちゃんとひとを連れてきたぞ!」とでも思われていたのだろうか。あのときのディエターさんの優しい笑顔とまなざしは、いまでもはっきり覚えている。

 夏の盛りが過ぎ、いよいよ帰国の日が近づいてきた。学生寮の家具や生活用品を片付け、住民票を削除し、銀行口座も閉じた。帰国するのだと何度も告げようと思ったが、告げられないでいた。いよいよ明日帰るというときになって、ともにゼミナールを受けていた友人と飲むことになり、一緒にその店を訪れた。予約でいっぱいだったようだが、席をこじあけて入れてくれた。
 会計の段になって、ディエターさんに明日帰国するのだと告げると、「Nein!(ダメだよ!)」と返された。ドイツに来てから一度も感じていなかった"さみしい"という感情が、初めてぼくの胸を貫いた。ぼくの帰国を惜しんでくれるひとがいるというのがとても嬉しくもあった。
 ディエターさんがビールをご馳走してくれるときにはいつも小グラスだったが、この日は大グラスでご馳走してくれた。友人とディエターさんとで、記念写真を撮った。今でも大切に保存してあるし、ドイツが恋しくなったとき、見返すのはいつもその写真である。

 就職活動、卒業論文、仕事……たてこむ出来事を片付けるのに必死で、それからぼくはあの店を訪れることはなかった。ディエターさんと誕生日を祝いあうことはあったが、店の話などはなかった。
 友人がケルンを訪れるときに、予約可能か確認がてら、ぼくを覚えているか尋ねたのが去年の夏である。「忘れるわけないじゃないか」とすぐメッセージが返ってきて、必ず行こうと決意したぼく。それから半年で、店は閉まってしまった。

 「いつかまたドイツに行って、ディエターさんと飲むんだ」、ひそかに、ときどき抱えていたその夢が、ぼくには自覚していた以上に大切なものであったことを、閉店の報を知って初めて実感した。
 いま、ドイツには友人がひとり、留学している。彼女に会いに、いずれぼくはまたドイツに行く。そのときやりたいことが、ふたつある。

 ひとつは、また帰りつけるいい店を見つけること。

 もうひとつは、店主でなくなったディエターさんをその店に連れて行って、「Gut?」と尋ねること。そしてビールをご馳走することだ。

 そう、いつか。いつの日か。

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