スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

8月, 2017の投稿を表示しています

コンタクトレンズ

 20歳のとき、ぼくは初めてコンタクトをつけた。  それまで眼鏡一筋だったぼくは、固形物を目に入れることなど、とんでもなく恐ろしくありえないことだと思っていた。  そんなぼくに、好きなひとができた。それまでよく「老けている」と言われていたぼくは、その子の眼中に入るためにも、若返りしよう、と思った。  「コンタクトにする」と親に言ったとき、どんな反応だったか、正確には覚えていない。でもすぐに了承してくれて、一緒に眼科に行ってくれた。  目の検査を終えると、すぐにコンタクトを付ける実習になった。コンタクトレンズを付けると、視界いっぱいに、視力がよかったころの世界が広がった。元々経験していたはずの世界なのに、妙に違和感があった。すべてが鮮明で、広がりをもっていた。そのあとの練習ではなかなか取り外せなくて、一生これを付け続けるのかと思った。それでも私は多くの人と同じように、コンタクト装用を習得した。  好きなひとにその姿を見せたら、「人見知りする」と言われてしまった。そのくらい、ぼくは変わった。縮毛矯正もかけて、ぼくはとりあえず、自分の年齢と同じに見えるくらいには、若返った。  その夏は、とても楽しかった。会うひと会うひとがみんなびっくりしてくれて、ぼくはとても心地がよかった。ふちのない世界に胸が躍ったし、レンズのケアをするだけでわくわくしたものだ。  それから数ヶ月が経って、ぼくは好きなひとにフラれてしまった。  コンタクトレンズを付けるのはまばらになった。2weekのコンタクトレンズを、2、3回付けて期限がきてしまうことが、たびたびあった。ほかにもいろいろなことが重なって落ち込んでいたぼくは、大学に足を運ぶことも、あまりなくなっていた。縮毛矯正した髪は、床屋に2回も行けばなくなってしまった。ぼくは、それまでの天然パーマの眼鏡に戻った。  コンタクトを付けてから10ヶ月ほどが経ったとき、ぼくはドイツに留学した。一応、とコンタクトレンズを持って行った。しかし留学の充実に満たされてきたぼくは、今一度若返ろうと、しだいにコンタクトレンズをする日が多くなっていった。自由な視界で、アルプスの山々や、バチカン、アドリア海を見た。  しかし帰国してからは、ぼくはコンタクトレンズをすっかりしなくなっていった。留学の躍動感の反動か、ぼくは日本の日常に