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人とつま恋Blu-rayを見た話

先週の土曜日のことだった。 昭和歌謡好きの友人が、家に遊びに来た。吉田拓郎と中島みゆきがお互いに好きなものだから、つま恋ライブのBlu-rayを一緒に見ようということになったのである。知っている人は知っているだろうが、吉田拓郎のライブに中島みゆきがサプライズで登場して、「永遠の嘘をついてくれ」を歌った、伝説の一幕である。 じつはこのつま恋ライブのBlu-ray、元々中島みゆき好きで意気投合していた盟友と見ようと買ったものだった。しかしそれを買った数か月後に彼が交通事故で亡くなってしまったものだから、その計画は立ち消えになってしまった。 それから二年後、中島みゆき好きのひとと縁ができてこうして鑑賞ができたというのは、ぼくにとってはとても嬉しいことだった。彼らの歌のすばらしさを讃え、歌と繋がったきっかけなども話した。 ぼくらの年代ではなかなか拓郎やみゆきが好きなひとがいないものだから、ぼくはもう嬉しくて楽しくて、すっかり酔っぱらってしまった。大好きなものに対して同じ感動を共有できるということは、ありふれているようで、じつはとても稀有で大切なことだ。 それまでにぼくが買いためていた中島みゆきのライブBlu-rayも鑑賞し、CHAGE and ASKAや尾崎豊のライブ映像なども鑑賞した。ちょっとギターをかき鳴らしたりもしたが、ほろ酔いだったのでうまく弾けなかった。次はちゃんとしたライブに招待したい。 そんなこんなで昭和歌謡を楽しんだわけであるが、夜が深まるにつれて、ぼくの持っているライブ映像が終わってしまうかなしさを感じた。ぼくが中島みゆきを好きになってから少しずつ買ってきたライブ映像たちも、たった一晩の飲みで鑑賞し終わってしまうとは。ずっとライブ映像の山を見ながら、その音楽に感じ入りながら、夜を明かしてしまうくらいの資源が欲しかった。「うちには無限にライブ映像があるんだぞ」と意気揚々と次のディスクに切り替えたかった。 友人を駅まで送った後、帰り道に歌った曲は「永遠の嘘をついてくれ」。鑑賞会のさなかで垣間見えた、私たちに残された彼らの映像資源の終わり……いや、まだまだあるはず。きっと。新しいディスクを探すぼくの手は、やはり永遠の嘘を探している。
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待ち合わせ

待ち合わせをするときの 緊張が少しだけ好きだ ひとと接するのは好きだけれど ストレスも感じやすい性分だから その絶妙な境界が 待ち合わせの時間に漂う 期待、いや、夢が まだ生きているのもいい

死は真っ白のまま

これまで出会ってきた死というものは みんな、あまりにも真っ白だった だからぼくは怖くなる 最初は、おじいちゃん サークルの合宿中、弟からのメール 次はおばあちゃん 大学で英語のテスト中、母さんからのメール そのあとは、弟 学校の担任から1本の電話 みんなで探し回って 翌朝、今度は警察からの電話 そして、友だち 友だちの彼女から1本の電話 死はいつもダイヤルの向こう側にいて そのキャンバスは彩りをもたない

優しい歌を聞くと

優しい歌を聞くと 泣いてしまいそうになる その優しさに心が解かれて そしてもう一度 泣いてしまいそうになる 解かれた心が 優しい歌のあの彼岸に もう 手が届かないことを知って 優しい歌が好き 優しい歌が嫌い

男女平等とは"女〇〇"をはやしたてることではない

 男女平等が叫ばれ始めたのはぼくが生まれる前であるが、いまだそれは完遂されていないという声が多い。  古い時代の人々が考えを変えるか死に絶えるかしなければ、完遂は厳しいのではないか、と思う。そもそも性別にかかわらずひとを公平に扱うことができないひとが、裁量権を持つ立場にいるのがおかしいとぼくは思うのであるが。  それでも、時を待たずに早めに変えたほうがいいと思うのが、「女〇〇」という言葉である。  女流棋士、女医、女技師、リケジョ……たくさんの言葉がある。こういう言葉が使われだすくらい、男性が多数派を占めていた世界でも女性が活躍しだすのは評価に値することであるとぼくは思う。  しかし一方で、女〇〇という呼称をそれらに与えることは、せっかく超えた性別の境界をまた引き直し始めているようにも見えるのである。自分が活躍しうる場所で活躍しているというだけであるのに、当人が女性であるというだけで、その肩書が「女〇〇」になる。これはよくないことだと思う。  看護婦が看護師になったのは、男性が看護の世界に入ることを尊重してのことであった。この看護師のような中性的な語でいいと思うのだ。女〇〇なんて呼ばなくても。

異国の店と私

 疫病の混乱で国内がざわつく中、ぼくは別の報に肩を落としていた。留学時代に足しげく通ったドイツ・ケルン郊外のビアガーデンが、閉店したというのである。  Planet Hürth……店の名前である。スーパーと学生寮があるくらいの小さな駅にその店はあった。ケルン中央駅からトラムで30分もかかるうえ、これといった名所もないところだから、その店を知るひとはほぼない。地元の人々に愛される店だった。  留学したてのぼくは、ドイツ語も、地域のこともほぼ知らなかったものだから、しばらくは学生寮で勉強や研究をして過ごした。しかし入国して少し経ったころ、そろそろ勇気を出して、寮近くの店を探索してみようと思い立った。そのときに入った一軒目が、Planet Hürthであった。  扉を開けるとカウンターには小太りの店主がたたずんでおり、客はまだいないようだった。のちに彼の名前はディエターさんというのだと知った。  勉強しているとはいえ、やはりメニューはほぼ読めない。ぼくはさしあたりビールを頼んだ。食事もカリーブルストくらいしか知らなかったものだから、それを注文した。ビールも食事もとてもおいしかったが、それを伝えるすべがなかった。ディエターさんもぼくがドイツ語ができないことは察しているようで、とくに話しかけてくることもなかった。  しばらくすると、そこに客が入ってきて、隣のカウンターに座った。その客は英語が話せたものだから、少し雑談したのち、ぼくは思い切って食事の感想の伝え方を教わることにした。客はさまざま例を出して教えてくれた。ディエターさんがほかの客に食事を提供して戻ってくると、ぼくは会計をして、最後、「おいしかった」と伝えた。ディエターさんはそのときはじめてぼくに笑いかけた。「ダンケシェーン!」と豪快な挨拶をして、ぼくが玄関を出るまで見送ってくれた。これがディエターさんとの出会いである。  それから、ぼくはその店に足しげく通うことになった。とくにゼミナールがあった水曜日の夜や、学食に行けない土曜日などはほぼ毎週店を訪れた。ドイツ語の上達が遅かったものだから最初は挨拶だけだったが、だんだん小話くらいができるようになった。ドイツ語の日常会話はここで教わったといっても過言ではない。ディエターさんはぼくが店を訪れるたび、「Gut?(万事OKかい?)」と尋ねてきた。店にいるとぼく

海を進む

ひとりでこの海を渡ってきたけれど 朝靄の沖合も 夕凪の海岸も ひとりでこの海を渡ってきたけれど 南へ舵を切る 客船に手を振って 嵐も幾たびか 乗り越えてきたけれど 氷山も幾たびか 乗り越えてきたけれど 星がまたたくこんな夜が いちばん恐ろしい この夜が明けるころ どこにもいない私が消える 忘れようとするけれど 忘れようとするけれど そんな気がしてしまう 錨を捨て去った この小さな船の名を もう、誰も、覚えてはいないだろう