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投稿

死は真っ白のまま

これまで出会ってきた死というものは
みんな、あまりにも真っ白だっただからぼくは怖くなる
最初は、おじいちゃん サークルの合宿中、弟からのメール
次はおばあちゃん 大学で英語のテスト中、母さんからのメール
そのあとは、弟 学校の担任から1本の電話 みんなで探し回って 翌朝、今度は警察からの電話
そして、友だち 友だちの彼女から1本の電話
死はいつもダイヤルの向こう側にいて そのキャンバスは彩りをもたない
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優しい歌を聞くと

優しい歌を聞くと
泣いてしまいそうになる
その優しさに心が解かれて
そしてもう一度
泣いてしまいそうになる
解かれた心が
優しい歌のあの彼岸に
もう
手が届かないことを知って
優しい歌が好き
優しい歌が嫌い

男女平等とは"女〇〇"をはやしたてることではない

男女平等が叫ばれ始めたのはぼくが生まれる前であるが、いまだそれは完遂されていないという声が多い。
 古い時代の人々が考えを変えるか死に絶えるかしなければ、完遂は厳しいのではないか、と思う。そもそも性別にかかわらずひとを公平に扱うことができないひとが、裁量権を持つ立場にいるのがおかしいとぼくは思うのであるが。

 それでも、時を待たずに早めに変えたほうがいいと思うのが、「女〇〇」という言葉である。
 女流棋士、女医、女技師、リケジョ……たくさんの言葉がある。こういう言葉が使われだすくらい、男性が多数派を占めていた世界でも女性が活躍しだすのは評価に値することであるとぼくは思う。
 しかし一方で、女〇〇という呼称をそれらに与えることは、せっかく超えた性別の境界をまた引き直し始めているようにも見えるのである。自分が活躍しうる場所で活躍しているというだけであるのに、当人が女性であるというだけで、その肩書が「女〇〇」になる。これはよくないことだと思う。

 看護婦が看護師になったのは、男性が看護の世界に入ることを尊重してのことであった。この看護師のような中性的な語でいいと思うのだ。女〇〇なんて呼ばなくても。

異国の店と私

疫病の混乱で国内がざわつく中、ぼくは別の報に肩を落としていた。留学時代に足しげく通ったドイツ・ケルン郊外のビアガーデンが、閉店したというのである。
 Planet Hürth……店の名前である。スーパーと学生寮があるくらいの小さな駅にその店はあった。ケルン中央駅からトラムで30分もかかるうえ、これといった名所もないところだから、その店を知るひとはほぼない。地元の人々に愛される店だった。

 留学したてのぼくは、ドイツ語も、地域のこともほぼ知らなかったものだから、しばらくは学生寮で勉強や研究をして過ごした。しかし入国して少し経ったころ、そろそろ勇気を出して、寮近くの店を探索してみようと思い立った。そのときに入った一軒目が、Planet Hürthであった。
 扉を開けるとカウンターには小太りの店主がたたずんでおり、客はまだいないようだった。のちに彼の名前はディエターさんというのだと知った。
 勉強しているとはいえ、やはりメニューはほぼ読めない。ぼくはさしあたりビールを頼んだ。食事もカリーブルストくらいしか知らなかったものだから、それを注文した。ビールも食事もとてもおいしかったが、それを伝えるすべがなかった。ディエターさんもぼくがドイツ語ができないことは察しているようで、とくに話しかけてくることもなかった。
 しばらくすると、そこに客が入ってきて、隣のカウンターに座った。その客は英語が話せたものだから、少し雑談したのち、ぼくは思い切って食事の感想の伝え方を教わることにした。客はさまざま例を出して教えてくれた。ディエターさんがほかの客に食事を提供して戻ってくると、ぼくは会計をして、最後、「おいしかった」と伝えた。ディエターさんはそのときはじめてぼくに笑いかけた。「ダンケシェーン!」と豪快な挨拶をして、ぼくが玄関を出るまで見送ってくれた。これがディエターさんとの出会いである。

 それから、ぼくはその店に足しげく通うことになった。とくにゼミナールがあった水曜日の夜や、学食に行けない土曜日などはほぼ毎週店を訪れた。ドイツ語の上達が遅かったものだから最初は挨拶だけだったが、だんだん小話くらいができるようになった。ドイツ語の日常会話はここで教わったといっても過言ではない。ディエターさんはぼくが店を訪れるたび、「Gut?(万事OKかい?)」と尋ねてきた。店にいるとぼくはいつも楽しか…

海を進む

ひとりでこの海を渡ってきたけれど
朝靄の沖合も 夕凪の海岸も

ひとりでこの海を渡ってきたけれど
南へ舵を切る 客船に手を振って

嵐も幾たびか 乗り越えてきたけれど
氷山も幾たびか 乗り越えてきたけれど

星がまたたくこんな夜が いちばん恐ろしい
この夜が明けるころ どこにもいない私が消える

忘れようとするけれど
忘れようとするけれど

そんな気がしてしまう

錨を捨て去った この小さな船の名を
もう、誰も、覚えてはいないだろう

「死にたい」より「消えたい」

起死念慮とか、自殺願望とか。そういう言葉はうまく合わない。
消尽願望という言葉が近いだろうか。そういう気持ちを抱くことがある。
飛び降り自殺をして、葬儀をされて、"亡くなったひと"として扱われるのは嫌だから。
たとえばある日、突然少し強めの木枯らしが吹く。そのときぼくの身体が、つまさきから少しずつ砂に変わっていって、どこへともなく飛び去っていく。「ああ、ここで終わりか。はーい」と、映画のワンシーンを撮り終えたような気持ちで、ぼくの意識は薄らいでいく。
親しかった人たちのひとにぎりが、写真や作品でぼくを思い出す。それでも決して会おうとか、連絡を取ろうとかは思わない。だから、ぼくが消え去ったことには、誰も気づかない。
もし死後の世界があるのならば、彼らが亡くなったとき、こんな会話ができたらいい。
「えー、しろちゃん先に消えてたんだ」 「うん。ぼくのときはちょっと強めの木枯らしだった。そっちは」 「こっちは春一番で消えたよ」 「それもいいね」 「あ、あそこで鳥が鳴いている」 「うん。あ、ほらあっちにも」
なんてね。

自転車で走っているときに

今日、久しぶりに自転車に乗った。
自転車で走っているときに、 ふとむかしのことを思い出した。
むかし夢中になった本や
むかし夢中になった女性や
むかし夢中になった曲を。
自転車に乗っていたものだから、強く反芻することはなかったが、悪い時間ではなかったな、と思う。
悪い時間になるくらい、 もっと、いまという時間を、 盛り上げなければならないな、と思う。