20歳のとき、ぼくは初めてコンタクトをつけた。
それまで眼鏡一筋だったぼくは、固形物を目に入れることなど、とんでもなく恐ろしくありえないことだと思っていた。
そんなぼくに、好きなひとができた。それまでよく「老けている」と言われていたぼくは、その子の眼中に入るためにも、若返りしよう、と思った。
「コンタクトにする」と親に言ったとき、どんな反応だったか、正確には覚えていない。でもすぐに了承してくれて、一緒に眼科に行ってくれた。
目の検査を終えると、すぐにコンタクトを付ける実習になった。コンタクトレンズを付けると、視界いっぱいに、視力がよかったころの世界が広がった。元々経験していたはずの世界なのに、妙に違和感があった。すべてが鮮明で、広がりをもっていた。そのあとの練習ではなかなか取り外せなくて、一生これを付け続けるのかと思った。それでも私は多くの人と同じように、コンタクト装用を習得した。
好きなひとにその姿を見せたら、「人見知りする」と言われてしまった。そのくらい、ぼくは変わった。縮毛矯正もかけて、ぼくはとりあえず、自分の年齢と同じに見えるくらいには、若返った。
その夏は、とても楽しかった。会うひと会うひとがみんなびっくりしてくれて、ぼくはとても心地がよかった。ふちのない世界に胸が躍ったし、レンズのケアをするだけでわくわくしたものだ。
それから数ヶ月が経って、ぼくは好きなひとにフラれてしまった。
コンタクトレンズを付けるのはまばらになった。2weekのコンタクトレンズを、2、3回付けて期限がきてしまうことが、たびたびあった。ほかにもいろいろなことが重なって落ち込んでいたぼくは、大学に足を運ぶことも、あまりなくなっていた。縮毛矯正した髪は、床屋に2回も行けばなくなってしまった。ぼくは、それまでの天然パーマの眼鏡に戻った。
コンタクトを付けてから10ヶ月ほどが経ったとき、ぼくはドイツに留学した。一応、とコンタクトレンズを持って行った。しかし留学の充実に満たされてきたぼくは、今一度若返ろうと、しだいにコンタクトレンズをする日が多くなっていった。自由な視界で、アルプスの山々や、バチカン、アドリア海を見た。
しかし帰国してからは、ぼくはコンタクトレンズをすっかりしなくなっていった。留学の躍動感の反動か、ぼくは日本の日常にすっかりまいってしまった。いまは、もはや月に1度くらいしか装用しない。家には未使用のレンズと洗浄液が積まれている。
ぼくは、若さへの憧憬をしだいに失っていった。「老けたね」と言われるようになった。
それでも最近、ちょっとした変化があった。
ある朝、ぼくはもう、すっかり老いてしまったのだと思った。向上心を失って、惰性で生き、ぼーっとすることも多くなった。そんなとき、友人から「飯に行かないか」とLINEがきた。寝起きのぼくはそのまま起き上がって、あることに気がついた。
眼鏡がない
眼鏡をどこかにやってしまった。待ち合わせが間もなかったぼくは、仕方なく、ホコリのかぶったコンタクトレンズを取った。
装用の腕はまだ衰えておらず、すんなりと付けることができた。すべてが鮮明で、広がりをもっていた。あのときと同じだった。ぼくは少しばかりわくわくして、あたりを見回した。そのとき、ぼくは、現在が過去の延長ではなく、現在そのものになったのだ、と思った。コンタクトレンズは、若返るためのツールではなく、この鮮やかな視界のためにある……そういうものに変わっていたのだ。ぼくはひとの印象のためではなく、このとき初めて、純粋に自分のためにコンタクトレンズを付けた。
ぼくはコンタクトレンズが好きなのだ、と、そのとき思った。
これからぼくは、制作をする。そのとき、きっとぼくはコンタクトレンズをするだろう。そのうちまた誰かを好きになって、遠くに旅もするだろう。そのときもまた、コンタクトレンズをするだろう。そのとき、あの薄いプラスチック越しに見える世界は、きっと、20歳のぼくが経験した世界と、大きく違っているはずだ。
家に積んである、コンタクトのパッケージーーそれを次するときは世界はどんな色をしているのか。期待を込めて、ぼくは今夜この筆を執った。みんなも、放り出したままだったなにかを、夏の終わりに取り出してみないか。夏だったでいいじゃないか。
読んでくれて、どうもありがとう。
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