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なぜ星を作品に多用するか

八代作品における星の歴史

私の作品をいくつか楽しんでくれた人たちは気付くだろうが、私がつくるものにはだいたい星が登場する。星が直接登場しなくても、星にまつわるものがなにかしら絡んでくる。その由来を今日はここで紹介しよう。
 じつは、私の作品に星がメインに登場し始めたのは、2014年に制作した映画『セギヌスがいた』からである。高校生のときに執筆した『虹との約束』で七夕のシーンがあったり、映画『9センチ四方』で星が登場したりはするが、これらはあくまで、"なんとなくかっこいいから"登場させたのみであった。同時期につくっていた作品には、星が登場しないもののほうが多い。

ある映画制作の思い出

『セギヌスがいた』は、ぼくがあるひとに恋をして、そのひとをエキストラに呼ぶために制作を決めた作品であった。純粋な創作欲ではなく、一個人としての恋情がきっかけの作品であるので、当然作品内容はそれに大きく左右される。制作を意志する少し前に、私はそのひとの親友に「あの子は星とか月とかの形が好きだ」という話を聞いた。星に絡んだ作品にすれば、だれか来てくれるかもしれない、という期待は、そのころから芽生えはじめた。元々、視等級(1等星とか6等星とか)を題材にした作品をつくってみたい、と高校生のころから温めていた構想もあいまって、私は『セギヌスがいた』の脚本執筆を開始した。ほかの構想も幾多あったが、そのころの私には、彼女の好みと温めていた構想が重なることがまるで運命のように思え、そのたび交際を夢想したりしたものである。
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『セギヌスがいた』記念Tシャツ

 結局、そのひとがエキストラにくることはなく、それどころか連絡もつかなくなってしまった。すがすがしいまでの失恋である。しかし、私は失恋を抱えながらの制作中に、また恋をすることになる。ラストティーンの私のこころは、移ろいやすいものだった。私は撮影班にいたそのひとにカッコつけたい、と、本格的に星や星座の勉強をした。映画の試写会でプラネタリウムを出し、星の話をしよう、と考えたのだ。私が星というものに、作品のスパイスとしてではなく純粋な関心を寄せ始めたのは、このころだった。その恋も結局無残に散ってしまったが、私の星への関心は残り続けた。
 その後の映画でも、星は登場し続けた。関心というものは作品制作に大きく影響するものである。私は飽き足らず、星の検定まで受けるまでした。つくばは土地柄、宇宙の展示や学習の機会は多く、それも星好きを後押しした。作品の構想を練るにあたり、いつのまにか、星はなくてはならないシンボルになっていた。

亡霊

『コスモス』というドキュメンタリー番組を知っているだろうか。20世紀に活躍したアメリカの天文学者、カール・セーガンが監修した、宇宙や自然の探求を題材にした番組である。そこで赤外線や天王星の発見など数多くの業績で知られる天文学者ウィリアム・ハーシェルが取り上げられた回があり、そこで番組は彼におもしろい台詞を言わせている。
「私たちは亡霊を見ている」
星の光は、何十、何百年のときを経て地球に届く。つまりその光は、それだけ昔のものである。それらの星のなかには、「今」の段階ではもう存在しないものもあるかもしれないのだ。私たちは、そんな、何十、何百年も昔の星の姿を見ているのである。それをハーシェルは、「亡霊を見ている」と表現した。
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ウィリアム・ハーシェル
私の星への情熱、および制作にあたっての星の重さ……そこには、青春の亡霊があるのかもしれない。19歳の私が経験した、苦い想いの軌跡、傷つきやすくもろかった若い心が抱えたなにかが、いまの私の背にものしかかっているのかもしれない。
 なにかを描くと言うことは、その芸術家の経験や思念を形にすることと不可分である。私が作品をつくろうとするとき、過去という亡霊は、優しく、健やかに、この右手を動かし続けているのである。

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