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毒物劇物取扱者試験_一般(東京都)を受験した話

今日は毒物劇物取扱者試験を受験してきた。

その名の通り毒を扱うことができるようになる試験。薬剤師や応用化学系卒業生はすでにある権利なのであるが、ぼくのように哲学系卒が扱うためには、この試験に合格しなければならない。

職業柄、毒物劇物を扱うことは絶対にないのだが、以下の理由で受験した。

  • 中高でないがしろにしがちであった化学に触れてみたい。
  • 資格として持っていたら話のネタになる(こっちが本命)。

資格の中では簡単な方、という記事をいくつか見たものの、所感としてはやや難しい試験であったと思う。覚えなければならない情報の量が多い。化学は基礎的な内容なのかもしれないが、ほとんど忘れていたぼくは理解にいささか時間を要した。インターネットでは少し情報が少ないので(とくに都道府県別の情報)、ここに記録しておこうと思う。少しでも参考になれば幸いである。

勉強

教科書には以下を用いた。

改訂新版 毒物劇物取扱者 合格教本
問題集には、以下を用いた。
らくらく突破 毒物劇物取扱者 オリジナル問題集
勉強時間は計っていないが、5月半ばくらいから、1日1時間くらいずつ教科書を読み進めた。教科書を読み終えて演習問題を1通り解いたら、オリジナル問題集のほうを解いていった。過去問は2週間前くらいにようやく開けたが、正直過去問を2年分、先に解いておくべきであったと思う。問題のタイプがかなり違っているので、オリジナル問題集の形式で慣れていくのは時間がもったいない(後述する)。
もちろんけっこうサボった。1週間に1、2回くらいサボっているので、前日の一夜漬け猛勉強時間と足し引きしてもたぶん総勉強時間40-50時間くらい。

東京都の出題傾向

5年ぶん解いた所感としては、東京都の出題傾向には以下のような特徴がある。
  1. 法令に関してはほぼ同じ形式と要点で問われる。過去問に慣れれば取り逃すことはない。
  2. 化学に関してはおおむね教科書通り。熱化学方程式と状態方程式だけ追補で学べばよい。
  3. 性状その他に関してはそこそこニッチな物質が出る。

言わずもがな、鬼門は毒物劇物の性状である。当然実地試験はほぼこの内容であるため、得点としても重い。教科書では星1になっていたり、ほぼ取り上げられないものが出てくる。教科書で大きく取り上げられている物質(黄燐とかセレンとか)だけ頭に入れている場合、そうした物質の問題を1つでも取り逃すと合格ラインを下回るという大博打になってしまうため、多少ニッチな物質でも頭に入れるべきである。例としてはパラコートや臭化銀などが挙げられる。
また、オリジナル問題集では「○○な性状の毒物or劇物はなんですか?」という、物質を答える設問が基本になっていたが、東京都の試験においては「物質○○の性状はなんですか? 廃棄法や応急処置は?」といった、物質を説明するような問題がほとんどである。もちろん選択式ではあるのである程度は絞れるのだが、その物質を理解していないと2、3問を丸々落とすことになってしまう。
したがって、物質の名前を聞いたら、最低限、「それは固体なのか液体なのか気体なのか」「色はなにか」「水やエタノールに溶けるか」は答えられるように準備しておいたほうがよい(できれば廃棄法も)。

実際の試験



早稲田大学早稲田キャンパス16号館で10時から行われた。8時30分入場開始と書いてあったので9時開始くらいだと思って行ったら1時間以上待つ羽目に。ちゃんと確認しないとね。
教本よりは性状等が書かれたプリントで勉強しているひとが周りには多かった。
10:00-12:00の2時間の試験だが、1時間経過後に途中退出することができた。しばらく悩んだりしていたので、ぼくが退出したのは11時30分くらい。お腹が空いたから早く外に出たかったのもある。
7月11日実施で、合格発表が8月11日。1か月で合否がわかる。
都道府県別に違う試験なので、残念ながら解答速報的なものがない。過去問のパターンと教科書、物質の情報で突合をかけて自己採点したところでは、若干余裕をもって合格基準には達していそうだ。
インターネットでは東京都の合格基準は筆記・実地ともに正答50%越えで、全体で正答60%越えと書かれている記事が多いが、東京都公式ではその記載を見つけられていない。インターネットの記事って、ほかの記事をパクって書いていることも多いので、あんまり信用しないほうがいいかもしれない。

2021年8月11日追記

どうやら合格基準は合格発表後にホームページで公開されるらしい。合格率調整のためだろうか。ただ、結構年ごとに合格率にブレがあるので、ほぼ毎年同じ基準だと考える方が自然だろう。筆記・実地ともに正答50%越えで、全体で正答60%越えが正解らしい。
毒物劇物取扱者試験合格発表ページ(東京都)
毒物劇物取扱者試験合格発表ページ(東京都)


無事合格できてよかった。正答と突合すると、筆記8割、実技7割程度で合格しているはず。
専門外の勉強は頭を柔らかくしてくれる。楽しい。

2021年9月22日追記

受領した合格証書は以下。シンプルな紙だが、難しい試験だったので達成感はひとしお。


コメント

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