起死念慮とか、自殺願望とか。そういう言葉はうまく合わない。
消尽願望という言葉が近いだろうか。そういう気持ちを抱くことがある。
飛び降り自殺をして、葬儀をされて、"亡くなったひと"として扱われるのは嫌だから。
たとえばある日、突然少し強めの木枯らしが吹く。そのときぼくの身体が、つまさきから少しずつ砂に変わっていって、どこへともなく飛び去っていく。「ああ、ここで終わりか。はーい」と、映画のワンシーンを撮り終えたような気持ちで、ぼくの意識は薄らいでいく。
親しかった人たちのひとにぎりが、写真や作品でぼくを思い出す。それでも決して会おうとか、連絡を取ろうとかは思わない。だから、ぼくが消え去ったことには、誰も気づかない。
もし死後の世界があるのならば、彼らが亡くなったとき、こんな会話ができたらいい。
「えー、しろちゃん先に消えてたんだ」
「うん。ぼくのときはちょっと強めの木枯らしだった。そっちは」
「こっちは春一番で消えたよ」
「それもいいね」
「あ、あそこで鳥が鳴いている」
「うん。あ、ほらあっちにも」
なんてね。
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